嵐のラストライブを実家で見た。
東京在住で実家は愛知県。東京ドームから電車で1時間のところに住んでいるが、あえて離れている実家に帰った。それが親孝行になると思ったから。
いや、一緒に観るなら母親が最適だと思っていたから。ライブは日曜日の夜で、最後まで観たらその日中には帰れない。次の日普通に出勤なので、月曜の朝始発で帰ることになる。しかし、そんなことよりも、実家で母と観たかった。
そしてやはり観てよかった。親孝行になった。一緒に観れて嬉しいと言ってもらえた。
嵐のライブ中は泣きそうになってあまり親の顔が見れなかった。恥ずかしかった。
私が初めて行った嵐のライブは5×10だ。名古屋ドームのオーラス。ツアーのオーラスで、トリプルアンコールで新曲のTroublemakerを歌ってくれた。特上カバチの初回放送日だった。トリプルアンコールがめちゃくちゃ嬉しかった。今でも席を鮮明に覚えている。そして、この日を迎えるまでの経緯も鮮明に覚えている。
この3日前、私は体調を崩し、家で点滴を打っていた。病院で、家で点滴をしろと言われ、持ち帰った記憶がある。背の高い観葉植物にパックを吊り下げた記憶がある。そんな中、夕方あたりに家の電話が鳴った。そしてその電話に出た母親が突然
「〇〇ちゃん嵐のライブ行く?!!?!」
と聞いてきた。即答で「行く!!」と大きい声で母親に向かって言った。電話が終わった母親から「復活当選」で嵐のライブに行けることになったと告げられた。嵐のライブまでに体調も回復するだろうという家族の合意のもと、嵐のライブの当日を迎えた。
少しよれたトレーナー。あれは黄色でクマがついていた。しかし、全くお気に入りではなく、普通に普段着。一張羅ではない。当時小学5.6年生だった私はミニスカートが履きたかった。しかし、コンサートに行く権利のため、ミニスカートを断念することは容易だった。
そんな当時のことも思い出しながらラストライブを観た。
デジタリアンでコンサート中に腹痛に襲われ、母に「胃にカイロを貼って!」とMC中に言われ無事回復したことも、竹中工務店の広告の下の天井席になったことも、アンタイトルで悲しい気持ちになったことも、嵐のコンサート前にホテルランチをしたことも、デパートで買い物をしたことも、
全部覚えている。
そしてその母との思い出はラストライブによって一気思い出されて、これを書いている今でも泣きそうになる。
アイドルもタレントも音楽も環境も母との思い出のきっかけでしかない、装置でしかない。いやその装置が無いと家族との思い出も存在しないので、その装置は思い出そのものなのかもしれない。
たまたま私が、嵐が、ジャニーズが好きだった。
たまたま母がエンタメに寛容だった、姉であり友達のような存在だった。
一緒にコンサートに行けた。
ドームが1時間あれば行けるところにあった。
いつのまにか私以上に母が嵐にハマっていた。
そして嵐がいた。
全てが偶然だけど「一緒に嵐のコンサートを楽しんだこと」は私を構成する一部になっている。
自分を育てた家族との幸せを象徴するものになっている。
私は目に見えないものが好きすぎる。高尚に扱いすぎる。でもこれは、紛れもなく私の好きなものである。
電車の中で大泣きしそうなので、もう辞めようか迷う。
いや、書く。
ラストライブ後、ネット上にあらゆる思い出話が溢れていた。その人たちと同じになりたくなくて、いや、自分の思い出は自分としては何故か恥ずかしくて、文字にできなかった。
でも今、ラストライブを忘れつつある今、振り返ると素敵な思い出として取っておきたくなった。
歌詞やセリフでこのブログを締めたい気持ちと、そんなクサいことするのはダサイという気持ちで揺れている時点で自分にセンスがないことにがっかりする。
これからも絶対love so sweet で拳をあげるし、happinessでは絶対櫻井翔の煽りを入れるし、Troublemakerでは肩を揺らすし、ハートも作り続ける人間になっていきます。
